著者紹介

私は、三姉妹の父親として11年間、15年の結婚生活を送ってきました。
妻とは共働きで、長女は中学生、下の二人は小学生。
家族で過ごす日々が、何よりの幸せだと思っていました。

大学を卒業してから、会社勤めをして20数年。
外から見れば「穏やかで幸せそうな家庭」と映っていたと思います。
いわゆる“良さそうなレール”の上を、何の疑いもなく歩んできました。

しかし、2024年9月。妻の不倫をきっかけに、生活は一変しました。
あのとき、一度、世界から色が消えたように感じました。
通勤途中で見ていた木々の緑も、青い空も、
すべてが灰色に見え、車の音も人の声も遠く感じる——
まるで無音の世界に取り残されたような感覚でした。

2019年頃から、私は趣味のカメラで子どもたちの動画を撮ることを楽しみにしていました。
子どもの成長を記録することが生きがいのようになっていましたが、新しいカメラを買いたいと妻に伝えた際、なんとか許可を得て購入したにもかかわらず、後から「どうして勝手に買ったの」と責められました。

その頃から、お小遣いは月6,000円に制限されました。
何度話し合っても改善されず、やがて私は自分の通帳とカードを取り戻そうとしましたが、妻は激しく怒り、「あなたにお金を任せたら何に使うかわからない」と言いました。
そこで、私は自分の力で自由に使えるお金を作ろうと、ネットでできる副業を始めました。
少しずつ自分でお小遣いを稼げるようになり、ようやく心が少し軽くなった矢先——。

2024年9月、妻の不倫が発覚しました。
発覚といっても、堂々と朝6時に朝帰りをしてくるほどでした。
誰とどこにいたのか尋ねても、「あなたには言う必要がないと思っているから」という冷たい一言。
そこから、妻の不貞を確実に証明するために、探偵を依頼することにしました。

しかし、最初に依頼した探偵に足元を見られたようで、証拠が取れないまま時間とお金だけが消費していきました。
担当者と連絡が取れなくなるなど、精神的にもつらい日々が続きました。
その後、担当が変更となり、ようやく証拠を確保することができました。

その間、私はようやく自分の通帳とカードを取り戻しましたが、
今度は「あなたの方が稼いでいるんだから、食費や養育費は全部出して」と言われ、
毎日のように責め立てられるようになりました。

不貞の証拠を掴み、妻にそれを伝え、相手方に内容証明を送ったあと、
妻の態度はさらに攻撃的になりました。
「暴力があったってことになったら、あなた今の職場にいられなくなると思うけど。それでもいいの?」
そう言われたとき、私はぞっとしました。

その後、実際に妻は私を“暴力夫”として仕立て上げ、警察に傷害で訴えました。
児童相談所での聞き取り、検察での取り調べ——。
何もしていないのに、疑われることの苦しさを、身をもって知りました。

それをきっかけに、私は離婚調停に踏み切りました。
現在は、離婚調停、婚姻費用分担調停、そして子の監護者指定審判を申し立て、弁護士に委任し、今後の審判期日を待っているところです。

調停では、妻のモラハラや精神的な支配を訴えても、なかなか理解してもらえず、
「同居中で親権が対立している場合、解決は難しい」と言われました。
そこで、私は三女と二人で別居する決断をしました。
現在、別居して2か月ほどになります。

なぜ三女とだけ一緒に暮らしているのか——。
長女と次女に別居の意志を伝えた際、二人はそっけなく「住所教えて」と言うばかりで、
それ以前から母親による父親への悪口、祖父母への否定が続いており、
すでに“片親疎外”の状態になっていたのです。

このブログでは、私が経験した不貞調査や探偵の実態、
男性が非常に弱い立場に置かれがちな“暴力”という問題、
そして父親が親権を得るまでにどんな選択をし、どんな結果を迎えたのか。

同じように苦しむ父親たちのために、
「あのとき、どう動けばよかったのか」「何を選ぶのが最善だったのか」
そんな問いに対して、私の経験が一つでも参考になればと思い、
このブログを書いています。

一人でも多くの父親が、自分の尊厳と子どもとのつながりを守れるよう、
現実と希望の両方を記していきます。