虚偽DV事件をきっかけに、僕は離婚調停を申し立てました。
しかし、その前から家庭内ではすでに深刻な変化が起きていました。
“父親を悪者にする日常”が続いていた
妻は、何かにつけて僕のことを責め立て、
毎日のように粗探しをしては指摘してくる生活が続いていました。
時には妻が長女・次女に対して泣きながら、こう訴えました。
- 「パパがこうしてくれない」
- 「パパのせいでこうなってるの」
- 「お願いだから証拠を撮るのに協力して」
子どもの前で父親を悪者にし、
子どもたちに同調を求めるようになっていったのです。
結果、長女と次女は、
「パパとママが仲良くないのはパパのせい」
と言うようになり、
僕には、完全に母親の味方になっていったように見えました。
これが、親の一方を悪者として心理的に引き離していくような流れに見えました。
一般には「片親疎外(パレンタルエイリアネーション)」と呼ばれることもあるそうです。
三女だけは“母親の言うことをきかない子”として標的に
長女・次女と違い、三女は母親に同調することがありませんでした。
しかしその分、妻からの当たりが最も強く向けられました。
- 「あれやってないでしょ」
- 「どうしてやらないの?」
- 「ちゃんとやるまでネイルはしてあげない」
そして決定的なのは──
キャンプから帰宅したとき、
三女を見るなり長女がこう言ったのです。
「まためんどくさいやつ帰ってきた」
僕には、妻が三女に向けていた言葉が、長女にも移ってしまったように感じました。
次女も三女に「遊ぼう」と言われても無視するようになり、
姉妹関係まで歪められていきました。
僕はこの頃、
家庭内の様子や妻の言動、子どもたちの態度を録音して記録していました。
調停で待っていたのは“別の現実”だった
調停では、
これまで妻から受けてきたモラハラ、
精神的な嫌がらせなど
主張書面や録音データを文字起こしして、証拠として提出しました。
しかし調停員の反応は、
予想とはまったく異なるものでした。
- 「これはとても異例なケースですね」
- 「調停では話し合いをする場ですが、親権・慰謝料など対立点が多くてここでは対応できません」
僕が必死に訴えた内容は、
まるで“想定外の話”として扱われ、
ほとんど取り合ってもらえませんでした。
事実を訴えても届かない。
父親の声は、こんなにも軽く扱われるのか。
虚偽DVに続き、また一つ現実の壁を思い知らされました。
調停で突きつけられた現実と、別居という選択肢
虚偽DVの苦しみを乗り越えて申し立てた調停。
しかしそこで待っていたのは、
- 「同居のままでは不成立になる」
- 「親権の前提として、まず別居が必要」
という、
父親にとってあまりにも厳しい現実でした。
調停に証拠を提出──しかし調停員は取り合わない
調停では、
これまでに録音した妻の暴言やモラハラ、
子どもたちの態度の変化、
片親疎外の兆候などをすべて証拠として提出しました。
僕は心のどこかで、
「これだけ事実を示せば理解してもらえる」
と淡い期待を抱いていました。
しかし、調停員の反応は冷たく、
むしろ僕の方が悪い印象を持たれているようでした。
妻が調停で
「父親が怒ったら怖いんです」
と言ったことで、
調停員はその言葉に同調してしまい、
僕の提出した証拠は深く検討されませんでした。
今思えば、
録音の文字起こしを提出しても、
内容が調停員に正しく伝わっていなかった
のだと思います。
「あなたの場合はとても異例なケースです」──調停員の言葉
調停員から最初に言われたのは、この言葉でした。
- 「あなたの場合はとても異例なケースなんです」
- 「同居してるんでしょ?」
- 「親権も慰謝料も全部で対立していて、この調停では解決できません」
最初から“無理”と言われているようなものでした。
僕はせめて、子どもたちの前で父親の悪口を言うのはやめてほしいと訴え、
「調停で学ぶべき動画にも、子どもに悪口を言わないこととありましたよね」
と伝えました。
調停員は、
「悪く言わないようにと伝えましたから」
と言っていたので、
僕は少し安堵して帰宅しました。
しかし妻の反応はまるで別の世界の話だった
自宅に帰ると、妻はこう言いました。
- 「そんなこと言われてない」
- 「あなたは言われたの?」
- 「あの調停員、全然話を聞いてくれない。調停って意味あるの?」
まるで別の調停を受けてきたかのような反応でした。
第二回調停──証拠を出しても状況は変わらない
僕は第二回調停で、
妻が話していた内容や実際の家庭内の音声を再度提出しました。
しかし調停員は、
明確にこちらへ配慮してくれるわけでもありませんでした。
そこで僕は、
婚姻費用分担の申立ても追加で行いました。
理由は明確でした。
- 食費の大半
- 子どもの生活費のほとんど
- 住宅ローン
これらを僕がほぼ全額負担していたからです。
妻は心療内科に通院し、睡眠薬を使用していたため、
朝起きられず家事も育児もほとんどしていませんでした。
しかし調停では、
妻は 「心療内科にかかったことはありません」 と言い張ったため、
僕はお薬手帳も証拠として提出しました。
「同居のままでは判断できません」──婚姻費用も拒否
調停員が出した結論は、あまりにも現実離れしたものでした。
「同居している状態では、どちらがどうとは判断できません」
婚姻費用も、
同居ゆえに「払うべきかどうかの判断ができない」と言われました。
そしてついには、
「親権をどちらも譲らないなら、次回で調停は不成立になります」
と告げられました。
このままでは娘を守れない──ついに別居を決意
僕にとって、調停不成立は
- 妻から再び”暴力夫”に仕立てられる可能性
- 三女が毎日傷つけられる環境が続くこと
を意味していました。
これ以上、
三女の心が壊れていくのを見ているわけにはいきませんでした。
そうして僕は、
三女と二人で別居することを決断したのです。
父親として、
当時の僕には、これ以外の選択肢が見つかりませんでした。
別居することで、三女を守り、新しい未来を切り開くことができる。
その希望を胸に、僕は別居の準備を始めました。
しかし別居は、何かがすぐに好転する魔法の選択ではありませんでした。
生活は一変し、想像していなかった問題も次々と現れました。
それでも、少なくとも同居していた頃とは違う「時間の流れ」が始まったのは確かです。
第5章では、三女と二人で別居したあとに待っていた現実、
そして「別居したからこそ見えたこと」を、包み隠さず書いていきます。