別居については、本当に悩みました。
同居生活を続けた方が子どもたちと一緒にいられる。
でも、精神的な嫌がらせはエスカレートする一方で、
僕の心のコップもいつ水が溢れ出るかわからない状態だったのだと思います。
同居継続では離婚が進まない──調停で突きつけられた現実
離婚調停の場で、調停員から次のような言葉を受けました。
- 「1階と2階で生活されているんですよね?」
- 「本当に離婚するおつもりなんですか?」
- 「同居のままでは、調停は基本的に不成立になります」
事実として、僕は同じ家に住み続けていました。しかし、それは夫婦関係が続いているからではなく、妻が家を出ることを拒み続けていたためです。
妻は「私が家を出る時は、子どもたちも連れていく」との一点張り。
一方、弁護士からは「父親が一人で家を出てしまうと、親権獲得が難しくなる」という説明も受けていました。
そのため、僕は動くに動けず、同居が続く限り離婚が前に進まない状態 に追い込まれていました。
いつまた警察に訴えられるかわからない恐怖と、同居生活がもたらす限界
さらに状況を複雑にしたのが、妻から僕が「暴力をふるった」という虚偽の訴えでした。
検察の取り調べでも、僕は一貫して「離婚を有利に進めるために妻が作り上げた話である」と説明し、担当検事もその内容を調書に記録しています。
しかし、たとえ虚偽であっても、一度傷害罪として訴えられた以上、
「いつまた同じことをされるかわからない」
という恐怖は消えることがありませんでした。
そのストレスを抱えながら同居を続けることは、僕の心にも限界が近づいていました。
三女にとっても過酷だった同居環境
僕自身が精神的に追い詰められていた一方で、
三女にとっても同居生活は決して穏やかなものではありませんでした。
妻は、自分の指示にすぐ従って行動できる次女を優遇する傾向があり、
反対に、宿題・着替え・歯磨き・入浴などを促してもすぐに行動しない三女には、いつもキツくあたっていました。
さらに、妻が三女に当たる様子を見続けていた長女も、その影響を受けてしまい、
三女に対して同じように厳しく接するようになっていきました。
ある日、三女は僕に
「お姉ちゃんに嫌われてるんだ」
とこぼすようになりました。
三女がそのような本音を話してくれたのは、夜は僕と三女の2人で寝ていたからです。
本来、僕は1人で寝ていましたが、妻の不倫発覚後、妻が三女へ強くあたることが増え、
三女が「パパと一緒に寝たい」
と言ってくるようになり、自然と僕たちは2人で寝るようになりました。
「三女だけ可愛がっている」と刷り込まれる長女と次女
僕が三女と一緒に寝たり、三女を気にかけて守ろうとする姿勢について、妻は長女と次女に対して
- 「パパは三女に甘すぎる」
- 「三女だけ可愛がっている」
と繰り返し話していました。
その影響を受けた長女は僕に
「どうして三女だけ可愛がるの?」
と責めるように言ってきました。
「そんなことはないよ。みんな同じように大切だよ」と何度説明しても、
母親の言葉を信じるように刷り込まれていく姿を見るのは、とてもつらいものでした。
兄弟不分離の原則よりも、まず三女の心の安全を守りたい
家裁では「兄弟不分離の原則」が重視されるのは理解しています。
しかし、現実には妻が子どもを差別的に扱い、三女だけが精神的に追い詰められる状況が続いていました。
このままでは三女の心が壊れてしまうのではないか——
そう感じるほど、三女の表情は曇りがちになり、家では安心できる居場所がなくなりつつありました。
だからこそ、
少なくとも三女だけは救ってあげたい
という気持ちが強くなっていきました。
姉妹が一緒に暮らすことは理想ですが、
「一緒にいること」よりも「子どもが心の安全を確保できる環境」の方が大切
だと、同居生活を続ける中で痛感しました。
子どもたちの意思──三女は「パパと一緒にいる」
暴力で訴えられた直後、僕は子どもたちに別居について確認をしました。
三女は迷いなく
「パパと一緒にいる」
と強い意思を示していました。
別居を最終的に決断する際にも三女の意志は変わらず、
「学校は変わりたくない」
という希望もはっきりと伝えてくれました。
一方で長女・次女は、僕が家を出ると伝えた際にそろって
「住所教えて」
と発言。
まるでその言葉を事前に母親から指示されているように感じられ、父親としては胸が痛みました。
三女を守るための決断──学区内での別居を強行
調停を前に進めるためにも、
そして何より 三女の安全と精神的安定を守るためにも別居は避けられない と判断しました。
三女の学校が変わらないよう、同じ学区内のアパートを探し、妻が日勤で不在の日を選んで引っ越しを強行。
僕の両親にも手伝ってもらい、なんとか1日で生活のベースを整えることができました。
「毎日怒られる心配がない」──別居して初めて感じた解放感
引っ越した直後、僕の中には大きな変化がありました。
妻からいつ怒鳴られるかわからない緊張感、
何かにつけて理不尽に責められる毎日から解放された安堵感が、一気に押し寄せてきたのです。
その反動のように、数日は疲労が一気に噴き出し、動けないほどでした。
それでも、
「ああ…別居して本当に良かった」
と心から思えました。
三女の“やりたい”を叶える時間が始まった
新しい生活では、今まで妻との同居では許されなかったことにも挑戦できるようになりました。
念願のハムスターを飼う
妻は動物を飼うことを固く禁じていましたが、
三女は以前からずっと「ハムスターを飼いたい」と言っていました。
別居後、三女の願いをようやく叶えることができました。
友人に頼んで“本物の釣り”体験
「釣りに行ってみたい」という三女の希望もあり、
僕の友人にお願いして鯖釣りへ。
結果、なんと 35匹 の鯖が釣れ、三女も大興奮でした。
同じ年頃の子とキャンプへ
離婚経験のある友人に三女と同い年の子がおり、
一緒にキャンプへ行き、自然の中で子ども同士楽しく交流する時間も作れました。
僕はこの友だちがいたからこそ、探偵の調査や調停でうまくいかないときも、
いつも相談に乗ってもらえたので、ここまでやってこれたと感謝しかありません。
おかげで、今まではできなかった「三女のための時間」を、一つひとつ形にしていくことができています。
しかし、別居後も続く不安──「三女を連れ去った」と言われて
別居して間もなく、妻からは
「三女を連れ去った」
と非難されました。
再び僕を不利にしようとする動きなのか、
またいつ妻が三女を奪いに来るのか、
恐怖が再び胸の奥に広がっていきました。
さらに、妻は毎日のように三女にLINEで
- 「おかえりー」
- 「何して過ごしているの?」
- 「心配だよ」
と送り続け、三女の心は大きく揺らされていきました。
このときはまだ、
この揺れが、三女の「学校に行けない」という形で
表に出てくることになるとは、思っていませんでした。
「学校に行きたくない」──不安定になる三女の心
別居後、三女は「学校に行きたくない」と言って休む日が増えました。
- 「着たい服がない」
- 「宿題やってない」
- 「もう間に合わない」
その理由は日によって変わり、
その裏には妻からのメッセージで心が引き戻されてしまう不安定さがありました。
学校のアプリで欠席連絡をすると、共有している妻からすぐに連絡が入り、
「家においで」と元の家に呼ばれることもありました。
三女の心は揺れ動き、父親としてとてもつらい時期でした。
両親のサポートで三女の安定を取り戻す
そこで、僕の両親と相談し、
学校から帰ってくる14時頃から私が帰宅する18時半頃までは、
祖父母と一緒に過ごしてもらう体制を作りました。
この環境を整えてから、三女の気持ちは徐々に落ち着いていきました。
三女の世界が広がり始めた
別居前、三女は次女に依存して遊ぶことが多く、
友達関係も次女の友達中心でした。
しかし別居後は、
三女自身が自分で友達を選び、同学年の子と遊ぶように変わってきました。
友達の家にあがる時のルールや帰ってくる時間についても改めて確認し、
三女自身の世界が少しずつ広がっているのを感じています。
三女の監護者指定の審判を申立て──どちらが監護するのか揺れる心
現在、僕は三女の監護者指定審判を申し立てています。
一方、妻側からは3名全員の監護者指定審判と、三女の引渡し審判が申し立てられています。
この先どう進んでいくのか、不安がないと言えば嘘になります。
それでも、弁護士と相談しながら、できる限りの準備を進めています。
初回の審判では、裁判官から
- 「なぜ三女だけを連れて別居したのか」
という質問を受け、
妻とその弁護士も同席する中で、
これまでの経緯と事実を説明しました。
現在は、その初回の審判を経た上で、
2回目の審判を待っている段階です。
先行きが見えない中での、三女の不登校
どのような審判が下されるかはわかりません。
それでも僕は、
「三女の心の安全を守る」
そのために今できる最善を尽くす
という気持ちで、今も向き合っています。
この時点では、
まだ「学校に行けなくなる」という現実が、
ここまで深刻な形で表に出てくるとは思ってもいませんでした。
しかし、別居後に積み重なった揺れは、
やがて「不登校」という形で、三女の心に現れることになります。
次章では、別居後に起きた不登校の経緯と、
父親としてどう向き合ってきたのかを記していきます。