第1章 不倫の発覚と崩れていく日常

僕の家族は、
40代夫婦との三姉妹(中学1年・小学3年・小学2年)の5人家族。

僕は月曜から金曜までの平日勤務で、
妻は早番・遅番・夜勤を含むシフト勤務という生活リズムの違いはあったものの、
共働きでお互いに支えながら日々を過ごしていました。

そんなある日、
妻が朝帰りをするようになったのは、2024年秋の出来事でした。

でも今思えば、それは偶然でも一時的なことでもなく、すでに始まっていた“崩壊の前兆”でした。

夜の美容室バイト──不倫の入り口だった

朝帰りが始まる半年ほど前、

妻は突然

母親S

「夜に美容室でバイトしたいの」

と言い出しました。

その美容室は、妻が10年以上通っている行きつけの店。

店長から

「バイトが辞めたので手伝ってほしい」

と頼まれたとのことでした。

僕は正直、首をかしげました。

  • すでに共働きで世帯収入は900万円以上
  • 経済的な理由での副業は必要ない
  • 子供が3人いて家事も育児も大変なのに、“夜”に働く意味がわからない

そう伝えました。

しかし、妻は

母親S

「バイトが見つかるまでだから」

と言って聞かず、結局バイトを始めることになりました。

今思えば、これが不倫の入り口だったのだと思います。

深夜の帰宅、子育てと家事はすべて私に

当初、バイトの勤務時間は20時〜23時の3時間とのことでした。

でも、次第に

母親S

「仕事が思っていたより大変で、定時に終わらない」
「終わった後に飲み会がある」

と理由をつけて、帰宅時間は午前2時、3時が当たり前に。

その間、家のことはすべて僕。
特に三女は風邪をひきやすく、夜中にトイレを手伝ったり、おねしょの対応をしたり、
高熱が出て妻にLINEをしても

母親S

「まだ帰れない」
「今飲み会」

と返事があり、すぐ家に帰ってくることはありませんでした。

バイトをはじめてから半年が過ぎた頃、妻の“朝帰り”が始まったのです。

「離婚しましょう」──不倫を問いただすと妻が口にした言葉

堂々と朝6時に帰宅してきた妻。

さすがに耐えられなくなった僕は問いただしました

父親M

「何をしてたの?」
「誰とどこで?」

でも妻は、

母親S

「あなたには言わなくていいと思う」

と突き放すように言い放ち、
さらに続けてこう言いました。

母親S

「離婚しましょう」

ネットに書かれている“典型的な不倫している人の常套句”そのままでした。
今思えば、この時点で問いただしたことが、大きな失敗でした。

問いただしたことで、
妻は警戒心を強め、その後は行動をより慎重に。
結果として、探偵が証拠を取るまで時間がかかってしまったのです。

崩れていく家庭──不倫に溺れる妻と、疲れ切った僕

妻は不倫については触れず、僕に離婚を迫る毎日。
ただ、離婚するにしても、

「不倫されて僕が出て行くのはおかしい」
「子どもたちはどうするか」
「ああ、どうしたらいいだろう…」

など考えながら過ごしていると、
明らかに妻の様子は一変していきました。

  • 服装も肌の露出が多いものが増え
  • 下着は面積に少ないものに
  • 見たことのないバングルを腕につけはじめる
  • やめていたタバコがバッグに入っている

など、間違いなく不倫しているし、そして今も続いている。

そんな妻が家事をした時には、

母親S

「私はこんなことする人生もう嫌」
「どうして私ばかりこんなことしなきゃいけないの」

と僕や子どもたちに当たり散らす始末。

そんな毎日が続いていたので、この時の長女は僕に

長女

「早く離婚してよ!」

とまで言っていました。

探偵への依頼──証拠が確定するまでの“最も辛い日々”

離婚についてはお互い合意していても、
妻は不倫を認めず、話し合いは平行線のまま。

話し合いでは拉致があかないと感じた僕は、不貞の証拠を取るため、探偵に依頼しました。

でも、それから証拠が取れるまでの約4ヶ月間が、
人生で最も長く、苦しい日々でした。

父親M

「出ていけ」

と言っても妻は家から出ていかず、

母親S

「私がこの家を出るときは、子どもと一緒に出ていくから」

と逆ギレして話になりません。

これまで妻に家計の管理を任せるために、僕の通帳やカードを預けていましたが、
この時、僕は

父親M

「もう信用できないから」

とそれを取り返しました。

僕のお金を扱えなくなった妻は、
それから毎日のように僕を“攻撃”するようになりました。

妻からの“経済的攻撃”

共働きで収入があるはずの妻は、

僕に対して

  • 住宅ローン
  • 食費
  • 子どもにかかる費用
  • 日用品・雑費

など、すべての支払いを求めてくるようになりました。

さらに、僕が渡していた家族カードについても、

母親S

「飲み会代をこのカードで払ってくるからね」

と言って脅されたので、僕はその場でカードをハサミで切りました。

すると妻は、

母親S

「カードがないから買い物できない」
「子どもにバランスの良い食事を作ってあげたいのに」
「買い物できないから家事もできない」

と言って、
妻はその後2ヶ月間ほど自分のことしかせず、
料理や洗濯、子供たちの入浴などの多くを僕が担っていました。

「どうしてこんなことに…」──自責の念と葛藤

当時、僕はこう思っていました。

「なぜ自分はこんな状況に追い込まれてしまったのか」

でも心の奥では、
妻のバイトを許可した自分に責任を感じてもいました。

ただ、拒否すれば、

「あなたのせいで何もできない」

と言われる未来も見えていて、

  • 許可しても地獄
  • 許可しなくても地獄

どちらを選んでも、結果は変わらなかったのかもしれません。

不倫の証拠が届いた日──そして、長い戦いの始まりへ

探偵から不貞の証拠が確定したメールが届いた瞬間、
僕は思わず小さくガッツポーズをしました。

でもその時のは僕、まだ気づいていませんでした。

「証拠が取れた=勝利」ではない
ということを。

僕の場合は、
不貞の証拠をとったと伝えたことでよりモラハラが強まり
状況が悪化しました。

第2章では、
妻の攻撃性が強まっていった過程と、
そこで痛感した証拠の見せ方や保管について
僕の失敗談をお伝えします。