別居してから最初の1〜2ヶ月は、正直なところ
「ひとまず大きな山は越えたのではないか」
そんな感覚がありました。
仕事を休職して、三女と向き合う決断
仕事をしながら、調停や弁護士との相談、そして不登校に対応するというタスクが重なり、
僕は、仕事を休職する決断をしました。
経済的な視点だけはなく、
「今、親として何を優先すべきか」
この段階では、
無理をさせて学校に行かせることは逆効果だと感じ、
親である自分が、
真正面から向き合うしかない。
そう腹を括った瞬間でした。
広がっていた世界が、少しずつ閉じていく
学校に行けなくなってからも、
しばらく塾には通うことができていました。
しかし3ヶ月を過ぎた頃から、
「クラスの友達に見られるのが怖い」
そう言って、塾にも行けなくなりました。
外出そのものも
「面倒くさい」
と言うようになり、
三女の世界は、
目に見えて小さくなっていきました。
それだけ心の安全地帯が小さくなっているのだと思います。
三女の監護者指定の審判を申立て──どちらが監護するのか揺れる心
僕は三女の監護者指定審判を申し立てています。
一方で、妻側からは
- 子全員の監護者指定審判
- 三女の引渡し審判
が申し立てられています。
この先、三女は妻側に引き渡さなくいけなくなるかもしれません。
それでも、弁護士と相談しながら、できる限りの準備を進めています。
初回の審判では、裁判官から
「なぜ三女だけを連れて別居したのですか?」
という質問を受け、
妻とその弁護士も同席する中で、
これまでの経緯と事実を説明しました。
審判のあと、
- 調査官の家庭訪問
- 三女と調査官の面談
が終わり、
調査報告書が出されて、2回目の審判があります。
見通しの立たない不安と、それでも引き受ける覚悟
正直、先はまったく見えません。
いつ学校に通えるようになるのか。
休職していて、いつまで経済的に持つのか。
不安がないと言えば、嘘になります。
それでも、はっきりしていることがあります。
三女が不登校になったのは、
完全に、親の責任です。
後悔のない選択をするために
別居はゴールではありませんでした。
本当の意味で向き合う時間が、
ここから始まったのだと思っています。
※この先も、状況は動いていきます。
審判の結果や、三女の心の変化については、
また進展があった時点で、父親として、自分の言葉で続きを書いていこうと思います。

