第6章 別居のあとに始まった、不登校という現実

別居してから最初の1〜2ヶ月は、正直なところ

「ひとまず大きな山は越えたのではないか」

そんな感覚がありました。

仕事を休職して、三女と向き合う決断

仕事をしながら、調停や弁護士との相談、そして不登校に対応するというタスクが重なり、
僕は、仕事を休職する決断をしました。

経済的な視点だけはなく、

今、親として何を優先すべきか

この段階では、
無理をさせて学校に行かせることは逆効果だと感じ、

親である自分が、
真正面から向き合うしかない

そう腹を括った瞬間でした。

広がっていた世界が、少しずつ閉じていく

学校に行けなくなってからも、
しばらく塾には通うことができていました。

しかし3ヶ月を過ぎた頃から、

三女

クラスの友達に見られるのが怖い

そう言って、塾にも行けなくなりました。

外出そのものも

三女

「面倒くさい」

と言うようになり、

三女の世界は、
目に見えて小さくなっていきました。

それだけ心の安全地帯が小さくなっているのだと思います。

三女の監護者指定の審判を申立て──どちらが監護するのか揺れる心

僕は三女の監護者指定審判を申し立てています。
一方で、妻側からは

  • 子全員の監護者指定審判
  • 三女の引渡し審判

が申し立てられています。

この先、三女は妻側に引き渡さなくいけなくなるかもしれません。
それでも、弁護士と相談しながら、できる限りの準備を進めています。

初回の審判では、裁判官から

裁判官

「なぜ三女だけを連れて別居したのですか?」

という質問を受け、
妻とその弁護士も同席する中で、
これまでの経緯と事実を説明しました。

審判のあと、

  • 調査官の家庭訪問
  • 三女と調査官の面談

が終わり、
調査報告書が出されて、2回目の審判があります。

見通しの立たない不安と、それでも引き受ける覚悟

正直、先はまったく見えません。

いつ学校に通えるようになるのか
休職していて、いつまで経済的に持つのか

不安がないと言えば、嘘になります。

それでも、はっきりしていることがあります。

三女が不登校になったのは、
完全に、親の責任です。

後悔のない選択をするために

別居はゴールではありませんでした。
本当の意味で向き合う時間が、
ここから始まったのだと思っています。

※この先も、状況は動いていきます。
審判の結果や、三女の心の変化については、
また進展があった時点で、父親として、自分の言葉で続きを書いていこうと思います。