第6章 別居のあとに始まった、不登校という現実

別居してから最初の1〜2ヶ月は、正直なところ
「ひとまず大きな山は越えたのではないか」
そんな感覚がありました。

三女の生活も一応は回っているように見え、
大きく荒れる様子もありませんでした。

だからこそ、このあと起きることを、
僕はまったく想像できていなかったのだと思います。

別居後も続く不安──「三女を連れ去った」と言われて

別居して間もなく、妻からは

「三女を連れ去った」

と非難されました。

再び僕を不利にしようとする動きなのか、
またいつ妻が三女を奪いに来るのか、
恐怖が再び胸の奥に広がっていきました。

さらに、妻は毎日のように三女にLINEで

  • 「おかえりー」
  • 「何して過ごしているの?」
  • 「心配だよ」

と送り続け、三女の心は大きく揺らされていきました。

このときはまだ、
この揺れが、三女の「学校に行けない」という形で
表に出てくることになるとは、思っていませんでした。

学校の欠席が増え始めた頃──最初に出た「小さな揺れ」

別居後、三女は「学校に行きたくない」と言って休む日が増えました。

  • 「着たい服がない」
  • 「宿題やってない」
  • 「もう間に合わない」

その理由は日によって変わり、
その裏には妻からのメッセージで心が引き戻されてしまう不安定さがありました。

学校のアプリで欠席連絡をすると、共有している妻からすぐに連絡が入り、
「家においで」と元の家に呼ばれることもありました。

三女の心は揺れ動き、父親としてとてもつらい時期でした。

両親のサポートで三女の安定を取り戻す

そこで、僕の両親と相談し、
学校から帰ってくる14時頃から僕が帰宅する18時半頃までは、
祖父母と一緒に過ごしてもらう体制を作りました。

この環境を整えてから、三女の気持ちは一旦落ち着いていきました。

三女の世界が広がり始めた

別居前、三女は次女に依存して遊ぶことが多く、
友達関係も次女の友達中心でした。

しかし別居後は、
三女自身が自分で友達を選び、同学年の子と遊ぶように変わってきました。

友達の家にあがる時のルールや帰ってくる時間についても改めて確認し、
三女自身の世界が少しずつ広がっているのを感じています。

三女の監護者指定の審判を申立て──どちらが監護するのか揺れる心

現在、僕は三女の監護者指定審判を申し立てています。
一方、妻側からは3名全員の監護者指定審判と、三女の引渡し審判が申し立てられています。

この先どう進んでいくのか、不安がないと言えば嘘になります。
それでも、弁護士と相談しながら、できる限りの準備を進めています。

初回の審判では、裁判官から

  • 「なぜ三女だけを連れて別居したのか」

という質問を受け、
妻とその弁護士も同席する中で、
これまでの経緯と事実を説明しました。

現在は、その初回の審判を経た上で、
2回目の審判を待っている段階です。

3ヶ月目に始まった「学校に行きたくない」──不登校という形になった

別居から3ヶ月ほど経った頃、
三女が「学校に行きたくない」と言う日が増え始めました。

最初は、
「一時的なものだろう」
「環境が変わったのだから、波があるのは仕方ない」

そう考えていました。

この時点では、
それが完全な不登校につながっていくとは、思ってもいませんでした。

正しいはずの対応が、すべて裏目に出ていく

学校に行かせようとすると、強く反発する。
動画やゲームをやめさせようとすると、さらに関係が悪化する。

「このままではいけない」
そう思って動くたびに、状況は悪くなっていく。

親として正しいと思っていた行動が、
すべて逆に作用しているように感じました。

どうすればいいのか、
何を基準に判断すればいいのか、
分からなくなっていきました。

祖父母のサポートが機能しなくなっていった理由

この頃、三女は徐々に祖父母のことも嫌がるようになっていきました。

面倒を見てくれている存在としてではなく、
「母親側に合わせないための足かせ」
のように受け止め始めているのではないかと感じました。

良かれと思って整えた環境が、
三女の中では別の意味を持ち始めていた。

このままでは、
三女の心が持たない。

そう強く感じるようになりました。

仕事を休職するという決断

そこで僕は、仕事を休職する決断をしました。

「誰が見るか」ではなく、
「今、誰が引き受けるべきか」。

この段階では、
祖父母に任せ続けることも、無理をさせて学校に行かせることも、
どちらも違うと感じていました。

親である自分が、
真正面から向き合うしかない。

そう腹を括った判断でした。

広がっていた世界が、少しずつ閉じていく

学校に行けなくなってからも、
しばらくは塾には通うことができていました。

しかし3ヶ月を過ぎた頃から、
「クラスの友達に見られるのが怖い」
そう言って、塾にも行けなくなりました。

外出そのものも
「面倒くさい」
と言うようになり、

三女の世界は、
目に見えて小さくなっていきました。

今は車を購入し、
クラスの友達がいない場所であれば外出できるのか、
少しずつ試してみようと考えています。

見通しの立たない不安と、それでも引き受ける覚悟

正直、先は見えません。

不登校がいつ終わるのか。
休職していて、いつまで経済的に持つのか。

不安がないと言えば、嘘になります。

それでも、はっきりしていることがあります。

三女が不登校になったのは、
祖父母のせいでも、三女自身のせいでもありません。

完全に、親の責任です。

監護者指定審判と、その先を見守るということ

この先、
三女が父親側で生活を続けるのか、
母親側に戻るのかは、監護者指定の審判で決まっていくことになります。

その結果を受けて、
三女の心がどのように変化していくのか。

今の時点で、
「こうなるはずだ」と断定できることは何もありません。

ただ一つ言えるのは、
結果がどうであっても、
三女の心の状態を丁寧に見守り続ける必要がある、ということです。

後悔のない選択をするために

後悔のない選択だったかどうかは、
きっと、ずっと先にならないと分からない。

それでも僕は、
三女の心の安全を最優先に考え、
この時間と責任を引き受けていく覚悟でいます。

別居はゴールではありませんでした。
本当の意味で向き合う時間が、
ここから始まったのだと思っています。

※この先も、状況は動いていきます。
審判の結果や、三女の心の変化については、
また進展があった時点で、父親として、今の自分の言葉
続きを書いていこうと思います。